フェルデンクライスのWSから、一週間。
自分の身体が心地よくいられれる
ゼロポイント、を体験したことで
日常ではたくさんの違和感と出逢っていた。
今まで当たり前、と思っていたことが、少し違ったものに思えて
もっと心地よい選択があるかもしれないという気持ちが芽生える。
身体からのアプローチで
知覚が変化するのはおもしろい。
⚪⚪
そんな折、再び、フェルデンクライスのATMのレッスンを受けた。
今日のハイライトは、目の使い方が変化したことだ。
わたしは視力が悪いせいか
眼精疲労から頭痛になりやすいのが悩みの種。
眼鏡かコンタクトが欠かせない生活なので、裸眼で見るようになったらどれほどいいだろう、という願望を抱いている。
レッスンでは、横向きになって、
膝と腕を動かしたり、
首と目を同じ方向に動かしたり、
反対に動かしたりする動きをいくつか行った。
小さな動きで、身体はほとんど使っていない状態でも
神経はアクティブになっているようで
途中で神経がじりじりと、動いているのを感じた。
最後に、起き上がって、周囲を見渡しながら、歩いてみる。
まず、首が伸びて、目線の高さが上がっている。
左右を見渡す首の可動域が広がり
目の動きが滑らかになっている。
目のピントの合わせ方が、近くを凝視する近視的な見方から
ぼんやり遠くを見るような視点になり、
まるで水平線を見渡すような、
まなざしで見られるようになっている。
⚪⚪
目と周辺の神経の緊張
こわばりがゆるんで、顔の表情も柔らかくなっている。
視線が変化する
視点が変わる
見える世界が変化する
私たちは普段、視覚からたくさんの情報を得て、判断し選択している。
目の使い方が変わり、見えるもの、見方が変わると、自分と世界との関わり方が変化する。
選択肢の広がりととも、選ぶものも変わってくるだろう。
その先には、どんなものとの出逢いが待っているだろう。
⚪⚪
フェルデンクライスのレッスンでは、身体はほとんど動かしていなくても
脳や神経系がアクティブになるためか
一つのレッスンを終える頃には、疲労感を覚える。
⚪⚪
レッスンの後、近くに見つけたモルフォカフェに、はじめていってみた。
食べ物も空間もとても心地よい。
身体が喜んでいる。
一つ一つが脳の学習、ということを日常でもを意識するようになった。
赤ちゃんが良いも悪いも判断なしに、すべてを吸収して育っていくように
大人になっても、体験していることは、すべてが脳の学習に繋がっているようだ。
見えないところで、我慢や無理を重ねていたら、それも脳が学習していることになる。
自分をごまかさず、身体と心が喜ぶものを与えて、育てたいと思う。
⚪⚪
人生は色々な選択の連続。
判断に迷うことはある。
それでも、どんな時も心地よさを基準に選んでいいと
自分の中で決まったわたしの心の内は、健やかだ。
まるで、身体とともに、旅をしているかのよう。
わたしにとって、より心地よくいられるのはどの方向だろう。
Which direction is for me?
最初の一歩は、いつも自分に許可を出すことからはじまる。
わたしは、心地よいあり方を選ぶことができる。
(フェルデンクライス ろじのあかり 中野ファミリーと)