京都・クリパルヨガのある暮らし

京都からクリパルヨガを伝えています。米国クリパルセンター公認ヨガ教師 hitomiのブログです。

小さいわたしを超えていくとき

Studio monkから、zoomでヨガを
提供しはじめて早1ヶ月。


そろそろ、zoomでヨガに参加するのは
慣れてきた人も多い頃だろうか。


わたしは、相変わらず
オンライン上のアクシデントネタが
どんどん蓄えられている。


対面クラスとは勝手が違う。


今度こそはと、準備してクラスに挑んだ時に
限って、想定外の出来事が起こり右往左往。


毎回、一喜一憂する自分がいる。


元々、緊張しやすい体質で
過緊張から身体のバランスを崩しやすかったから
ヨガをはじめたのだった。


この緊張感は、ヨガのティーチャートレーニングで
ラクティスティーチ(PT)のとき

はじめて、生徒の前に立ち
デモクラスをしたとき以来。

彼是もう6年もなる。



その前は、自動車学校の教習で
仮免の状態で、はじめて路上に出たとき。


右も左もわからず、つかむ藁もなく
半眼状態で大海原に放り出されたような
あの頼りなさ。



小さな画面の向こうに
たくさんの生徒さんが繋がって下さり
その舵取りをわたしが担っている状況に


機械オンチのわたしは
その責任の重さに
画面の操作、ポーズの一挙一動

一声一声のインストラクションに
震えるような緊張感が伴う。
(が、他の人には全く伝わっていないそうだ。)


そもそも、この緊張の原因は何だろう
と観察してみたところ
自分のうちにある、さまざまな想いに気付く。


人に迷惑をかけてはいけない。

失敗してはいけない。

よりよいものを、というより
誰にとっても分かりやすく
安全で、快適なヨガクラスを提供しないといけない・・・
という、完璧主義。

等々...

出てくるのは、古い思考のパターン。


自分が迷惑と思っていても
人にとっては案外、迷惑ではないこともある。


そもそも、人は一人では生きていけない、
迷惑かけずに生きることはできない。



本当はそんな遠慮なく、
もっとダイレクトに人と交流したり、
繋がりたい。


不必要な気後れ
遠慮はこの際、手放したい。



次にあるのは、失敗したり、間違えたりしたら
人から批判されるのではないか、という恐れ。


現実は、途中で音声が途切れても
接続が切れて開始が遅れても

批判してくる人はおらず
届いてきたのは暖かい励ましだった。



滞りなくスムーズに、と思っていても
双方の通信環境、逆光など
自分ではどうしようもない、

物理的な限界もある。

すべてをコントロールすることはできないのだ。



わたしが本当に恐れているもの

握っているもの

抵抗していること


自分にとって安全で快適なところにいるときには、
見えなかった心の反応パターンが
コンフォートゾーンからでたとき
お目見えする。



これは、オンラインヨガを始めたことが原因
というわけではなく

元々持っているものが浮上してきている。



言い換えると、見知った世界から踏み出し
新しい世界と出逢っている証。


こういう反応に気付いたときは
新しい行動をとって
パターンを塗り替えるチャンスでもある。


本当のわたしは何を望んでいるのだろうか。


自分の想いの中に、自分を閉じ込めていないで
失敗を恐れず、のびのびと
自由に自分を表現し
楽しく人と交流したい。



硬く狭い世界に自分を閉じ込めていないで
外の世界へと翼を広げていこう。


ヨガはいつでも自分を知るツールである。


小さい自分(エゴ)を超えて、世界と出逢っていく。


オンラインで提供しはじめたヨガはわたしに
そんなきっかけを与えてくれている。


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