京都・クリパルヨガのある暮らし

京都からクリパルヨガを伝えています。米国クリパルセンター公認ヨガ教師 hitomiのブログです。

人が本当に恐れているものは

人が本当に恐れているものは

 

自分の中の闇・・・ではなく

 

『自分の中にある光』

 

という話を聞いて、

 

あぁ、そうなんだなぁと、じわじわ納得したのが数か月前。

 

そこから、少しずつ、光を隠さない練習をはじめてみました。

 

・・・

 

まず、どうして、光を隠す必要があったかと、振り返ると

 

日本社会の「恥の文化」

恥ずかしいことは、避けなければならないという意識。

 

集団生活では足並みをそろえること、同調勢力というプレッシャー。

(運動会の行進では、全員が揃うまでやり直し)

 

 

わたしが生まれ育った四国の片田舎では

「出る杭は打たれる」文化の習慣は強く

生き延びるのに、一番大切なのは、協調性。

(昔の農家の人は、田植えの時期、水を確保するために、寝ずに水の番をしていたとか)

 

幼いころから、「風が悪い」(人に聞かれると恥ずかしい)ことはしないように、言い聞かされ、

周囲から、浮いたり、迷惑をかけたり、はみ出さないことが最優先事項。

 

幼少期から、社会生活を営む上で、適応という名のもと

がっつり身体にしみこんでいました・・。

 

 

そして、日々の生活の中で、これまで、自分を表出する前に

どれほど、あえて、自分の力を弱らせてきたか・・

ということに気付きます。

 

 

例えば、褒められたとき

 

率直にうれしいと思っても、

「そんなことはないですよ、、○○さんの方がすごいです」

というような、謙遜や論点のすり替えがセットになっていたり。

 

(誉め言葉に、過剰に喜んで、恨みを買ってはいけない

 

 

言いたいことがあっても

 

一度、周囲の様子を見て、状況次第では、やめておいたり。

 

(トラブル回避のためには、自己表現より、無難に過ごすことで安全性を選択)

 

 

断捨離をして洋服を点検してみると

 

特に気に入っているわけではない

グレーのカーディガンを

色味や生地の違いでたくさん、所有していたり。。

 

(場面に応じて安全性確保、グレーゾーンにとどまる/身体を覆う心理的安心感)

 

 

似合う服や好きな服を着るより

 

周囲との調和が保てる、服を無意識に選択する癖があったり。

 

(自己主張は控えめにしておくほうが無難)

 

 

英語のRの発音を

ネイティブの前では、思い切り舌を巻くのに

日本人と話すときは、遠慮気味に、あえて、

日本語英語に近い発音をしてみる、、とか

 

(外国人ぶっている?という、よく分からない嫉妬回避)

 

 

こういう、闇の声は主に、思春期までの集団生活での

経験がベースとなり、培われたものですが、

 

それ以降、もう必要がなくなっても

無意識的に、維持し続けてきたことに 気付きます。

 

 

・・・

 

ヨガをしていくうちに

 

「本来の自分らしく生きる」ことほど 大切なことはない と気づき、

 

古い価値観、もう役に立たなくなっているものは

手放そう、と思ってはいても

過去からの習慣の力は、ある意味、手ごわい存在です。

 

 

しかし、自分の力を自ら弱めたり、否定していても

存在の力を弱らせるばかりで

誰のためにもなっていません。

 

そんな風に生きていて

本来の自分の魅力に気付いてもらえるでしょうか。

 

等身大の自分を表現せずして、

そこに、共鳴してもらえる人と出逢えるのでしょうか。

 

 

そこで

・本来、誰もが光の存在

・覆っているものを取り除いていくことで、光が現れる

 

という、ヨガの教えに基づき

 

何かを足す努力をするよりも

 

それを妨げていることを やめてみる=光を隠さない 実験を始めてみました。

 

例えば、シェアリングサークルで

自分を振り返ったとき、

できてないことよりも、できたこと、良い面を話す

 

不安を全面に出すより、自分の中にある希望を語る

 

つらかったことにフォーカスを置くより、喜びを感じたことを言葉にする

 

自分の長所、得意なこと、成功体験をなかったことにせず話す

 

どんな感情も、あるものをあるがままに認める

 

ジャッジせずに、どんな自分にもOKを出す など。

 

そうすると、

 

それを聞いた人からも

写し鏡のように、その人の持つ、光にフォーカスをして

 

光の響きあいが起こる ということがありました。

 

 

自分の闇と向き合い、光と統合する。

 

内側にある光を隠さない。

 

 

「出したものが返ってくる」という法則。

 

この世界は映し鏡のように

目の前の人を通して

今自分がどんな状態なのかを

シンプルに教えてくれています

 

 

自分の意図次第で

どんな世界と共鳴し、響きあうのか

 

確かめながら

変化していく

プロセスを味わっていきたいですね。

 

 

雨上がりのツツジ