鬼を見て感じたこと
2024.2.2
仕事帰りに、吉田神社の節分祭に立ち寄ったら
何やらすごい行列。
聞けば、これから追儺式が行われるという。
関係者曰く、鬼の一人がお腹を壊して、開始が遅れているとか。
そのまま流れにのっていると、
追儺式に向かう、鬼の一行がやってきた。
たいまつを持った子ども
雄たけびを上げながら、通り過ぎていく、鬼
赤、青、黄色。
それぞれの鬼は、怒り、苦しみ、悲しみを表しているという。
雄叫びを上げる鬼。
なかなか迫力がある。
鬼を撃退して、追放するという儀式。
そもそも、人はなぜ鬼をみに集まってくるのか。
わたしが感じたのは、
誰もがうちに秘めている、怒り、苦しみ、悲しみ
鬼が象徴している人の一面。
普段は、見たくないと思っているけど、本当は見たい。
見たくないもの見たさが、多くの人の心に共鳴しているんだろう。
鬼たちが表舞台に立ち、居場所が設けられている。
儀式では、最終的には、追い払われるようなのだが。
鬼の存在。
追い払いたい存在。
もし、その存在を認めて、居場所を与え、
鬼たちの話を聞いてあげたらどうだろう。
鬼たちの話を聞いてあげたらどうだろう。
きっと鬼にも言い分があるはず。
物事のプラスの側面だけではなく、
同時に存在する白黒、陰陽両面を認めていく、
それは勇気を必要とするけれど
そこから次への扉が開かれていくのでは。
(良い面だけみていても、行き詰まり、壁にぶち当たるから)
たまたま遭遇した鬼との出逢いを通して
そんなことを感じたのでした。
たまたま遭遇した鬼との出逢いを通して
そんなことを感じたのでした。