あるものをあると認めること
目の前で起きている現実や人を
あるがままに見るというのは
思っている以上に難しい
それは、状況や人に対して
こうであってほしい、という期待や
こうであろうという、思い込み
自分の中で判断 というスクリーンが
立ち上がっているから
身近な人であればあるほど
時に不都合な現実を受け入れたくないために
あることが起きたときに
どうして、そんな風に言うの?
と反射的に 怒りの感情をぶつけてしまうことがある
見たくないものを見ないように
起きてる感情をないことにしたり
こうであったらいいのに。。と
理想を求めたり
コミュニケーションのすれ違いは
そんなところから起こる
もしも 不機嫌だったら
不機嫌なんだね
怒っていたら
怒っているのね
そのままを認めること
目の前で起きていることを
何も変えようとせず
自分の判断や解釈を加えず
ただそのままを受け止める
近くでそっと見守る
じっと見ていると
怒りの奥には
さみしさがあることに
気付くかもしれない
自分の判断を脇に置いて
ともにいるということ
起きている感情を
なかったことにしない
起きている現実に抵抗しないこと
あるものに居場所を与える
あるものをあると認めること
判断のない自己観察
Non-judgemental self-observation
良いも悪いもなく
そこには
見ているわたしが
ただ存在している
瞑想の実践を続けて
何年たったのか わからないけど
ようやく その感覚が少し腑に落ちてきた気がする