京都・クリパルヨガのある暮らし

京都からクリパルヨガを伝えています。米国クリパルセンター公認ヨガ教師 hitomiのブログです。

研修に参加して① 内なる想いに気付く

8月17日と18日

東京・下北沢で

クリパルヨガのPS研修に

参加してきました。


朝のサーダナの時間は

「感覚にフォーカスする」

という意図のもと


とても集中した時間を

過ごしました。

 

ディレクターのトシさんのリードで

呼吸法と20のアーサナ

意識的に行う。



土台を安定させ

プレスポイントを使って

中心から末端へと


意識で身体を広げ

呼吸を流す。


身体はしだいに熱を帯び、

力強さを増し、

呼吸は深まり、

意識は自然と内へと向かっていく。


身体を感じていくと

そこに付随している

いくつもの想いと出くわす。



例えば

トリコンアーサナ(三角のポーズ)。


首を背骨の延長線上に伸ばし

あげている手の方向を見るとき


私はいつも首がきつくて


首を背骨の延長線上に伸ばす

という感覚がつかみづらく


首の居場所が定まらない。


マイクロムーブメントで

身体を感じながら

様子をみていると


でてくる思いは


やっぱり首はきつい

前頸椎を捻挫してからだ


この頸椎のきつさは

これからも背負っていかないといけないのか・・・等々。


これらは、感覚の外側にある思いだ

ということに気付いては


それを追いかけるのをやめ

今は、ただ感覚に集中する。



汗がどんどん流れてくる。


暑い夏、体育館で倒れそうになった記憶が蘇る。


顔は真っ赤になり、息が苦しかった記憶。


その記憶が出てきていることに気付いては、


もう一度、感覚に意識を向けなおす。


今起きているのは、背中を伝ってくる、汗の感覚。



思いや記憶というのは

マインドと連動していて

とても吸引力がある。


感覚というのは

いまからだが感知している

微細な振動の連続。


感覚と感情(思い、記憶)を

並列にしてみていたときは


起きていることが

とても複雑だったものが


感覚だけにフォーカスすると

今、からだに起きていることは

いたってシンプルだ。


マインドが鎮まると

身体の感覚がそこにあるだけ。



自分の中のストーリーを脇に置くと

圧倒的にシンプルで

原始的な景色が立ち現れる。

 


身体を動かすと

呼吸の波に乗って、


固まりや滞りがほぐれて、

堰き止めていたエネルギーが


流れ出すように動くことがある。



アーサナをとっているとき

肚には力強さがあった。


その奥を感じているとぽっと、


「いい加減にしろ」という声が出てきた。


自分の中で、自分を低く評価して

その低い自己評価を


本物の自分のように

表現していることに。



本当は一番情熱を

感じるものがあるのに


それを後回しにして

安全なところにとどまっていて

一歩を踏み出せずにいることに。


小プールでのバタ足の練習は

もうとっくに終わっているのに


いつまでも大海原へ出られないでいることに。


わたしの内側は

もういい加減にしろと言っていて

けっこう怒っている。



わたしは自分が情熱を感じるものに

本当はもっと全力を

注ぎたいと思っている。



この自分の内に眠っている想い

というのは、


普段は意識しづらかったり、

うっすら気付いていても、

気付いていないことにしたり、

後回しにしてきたもので、


よく観察すると、

とても荒々しく熱を帯びている。


その背後には、

人からどう評価されるのかという恐れ、


うまくいかなかったらどうしようという不安。


踏み出したくても、

今にとどまることへの執着が

たっぷりついている。



呼吸をして、自分に問う。



それらは、今のわたしにとって必要なものだろうか



再び、呼吸をして

身体を動かす。



ひたすら呼吸と

感覚に集中する。



高まってきた熱で

もう役に立たなくなった

古いものを溶かすように。



シャバアーサナをして

起き上がった時

視界はクリアになっていた。

 


ヨガをして、身体を動かすと


自分の内に眠っている

ストーリーが出てくることがある。


自ら作り上げた物語を

しっかりと抱きしめていたりする。


それらは、今本当に必要なのだろうか。



目覚めて気付いている意識=ブッディ から 自分に問う。


ストーリーに巻き込まれず

そこに縛られている自分に気付き


もう必要なければ

そっと手を放す。



何度も何度でも。


より健全で本心が


望んでいる方を選択する。




わたしたちは


いつでも何度でも


新しいスタートを


切り直すことができる。 

 

 

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